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映画の歴史

 私たちを魅了してやまない映画。その映画がどんな風に生み出され、どう変化してきたのか、映画の歴史を紐解いてみましょう。  19世紀後半。もうすぐ20世紀になるというころ。エジソンが自動映像販売機を公開します。これは穴のあけられた箱を覗いて動画を見るという仕組みです。これが動画の始まりで、フランスのリュミエール兄弟はスクリーンに映し出すという方法を考え出します。これが映画の始まりでした。20世紀に入ると、世界で始めて、現代のようにストーリー性をもった映画が公開されます。ジョルジュ・メリエス監督の「月世界旅行」です。そして翌年にはアメリカで、最初の西部劇が航海され、数年後には世界初のアニメーション映画が作られます。
 そして1910年代に入ると、ハリウッドが作られはじめます。当時、アメリカでは映画を作るのに必要な機材には高額な特許料を支払う必要がありました。それに反発した業者が、国境を乗り越えやすいハリウッドに集まって形成されたのが、映画都市、ハリウッドの誕生につながります。後にこの特許管理会社は1912年に反トラスト法違法(日本で言えば、独占禁止法のひとつ)とされ、1917年には消滅することになります。そして、トーキーと呼ばれる 映像と音声を同期させた映画が作り出され、世界中で映画が作られるようになっていきます。日本では1908年が、日本映画の創成期ともいえる年で、国産の映画が公開され、映画館が作られ、時代劇が生み出されました。この当時はすべてサイレンスで、日本で最初のトーキー映画が公開されたのは1931年のこと。アカデミー賞が創設されたのもこのころです。また、3原色を用いたカラーフィルムが発明され、カラー映画が作られ始めます。当時のカラーフィルムは、テクニカラーと呼ばれるもので、3色を表現するために3本のフィルムを使って撮影し、それを合成して1本のフィルムを作成するという方法で作られていました。そして1950年代に入ると、ようやく1本のフィルムでカラー動画を撮影することが可能になり、1970代にはカラー映画が主流になっていきます。日本発のカラー映画は、1951年の「カルメン故郷に帰る」という作品です。また、その前年の1950年に公開された黒澤明による「羅生門」は、1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、世界のクロサワと呼ばれるまでになって行きます。羅生門以降も黒澤明の映画は世界の映画界に影響を与え、特に1954年に公開された「七人の侍」は国内外で高い評価を得て、1960年には「荒野の七人」としてリメイクされ、後々にはテレビシリーズにもなっていきます。映画が広く娯楽として定着したといえるのは、1970年台のこと。日本では、1964年の東京オリンピックで普及したカラーテレビが映画のライバルとなりますが、これはハリウッドやフランス映画でも同じです。テレビに負けまいと作り出された作品や、テレビでは作れない作品が大ヒットを記録していくのです。1970年代の有名な映画は、カンフーブームの火付け役ともなった「燃えよドラゴン」、ホラー映画というジャンルを確立させた「エクソシスト」、「未知との遭遇」、「スター・ウォーズ」などのSF作品、ミステリー小説を原作にした「オリエント急行殺人事件」、日本では「犬神家の一族」、ヒーロー映画の原点「スーパーマン」など、様々なジャンルの映画が生み出されました。1980年代には、コンピュータが普及し始め、映画でもCGが用いられるようになって行きます。ちなみに世界発の3DCGアニメーション映画は、1995年の「トイ・ストーリー」です。そして現在。長年映画の撮影フィルムを製作してきた富士フィルムは、2012年その製造中止を発表しました。今現在、デジタル上映できる設備を持った映画館は7割程度といわれています。2005年に公開されたデジタル3D映画、「チキン・リトル」の成功を受けて、多くのデジタル3D映画が公開されるようになりました。デジタル上映普及には、このデジタル3D映画が一役買っていて、「アバター」が世界的に大ヒットとなったのは記憶に新しいところです。また、映画の見方も変化し続けています。昔は当然、映画は映画館で見るものでしたが、レンタルショップの普及で、映画館で映画を見る人は減ってしまいました。ですが現在は、実店舗のレンタルショップ離れが進行していて、インターネットの有料配信を利用したり、ネットレンタルを利用したりする人が増えてきています。これから映画界がどのように変化していくのかはわかりませんが、映画という娯楽は消してなくなりはしないでしょう。

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